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141 清水脩 しみず おさむ Shimizu Osamu 1,911 0 0 1,986 0 0 昭和7年大阪外国語大学フランス語科卒業。中学の時から音楽を志し、前記大学在学中も合唱団で音楽活動を行う。最初作曲ではなくフランス音楽の研究家になるつもりだった。昭和12年上京して東京音楽学校専科作曲部に入学。橋本國彦、細川碧に師事。昭和15年卒業。同年音楽コンクールに「花によせたる舞踊組曲」が第1位入選。戦後昭和21年全日本合唱連盟の創設に参画、アマチュア合唱団の指導育成に努め、同連盟名誉会長を務めた。昭和26年芸術祭管弦楽募集に「インド旋律による四楽章」が入選。また交響曲第一番が昭和28年第1回尾高賞を受賞。昭和29年オペラ修善寺物語を初演して注目され、第9回芸術祭賞などを受賞。以後「俊寛」をはじめ多くのオペラ、オペレッタを作曲。オペラ作家と称される。日本オペラ協会会長も務める。また一方では数多くのカンタータ、合唱曲があり、「月光とピエロ」などは日本の合唱団が最も取り上げるポピュラーな合唱曲となっている。また、大阪四天王寺の楽人の家に生まれた関係からか交声曲「伝教大師賛歌」を始め多くの仏教音楽を書いている。男声合唱の産みの親として、また現代邦楽のパイオニア的存在として知られている。(参考文献:秋山邦晴著「日本の作曲家」音楽之友社、日本作曲家協議会編「作曲家との対話」 新日本出版社) View Edit
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142 清瀬保二 きよせ やすじ Kiyose Yasuji 0 0 0 0 0 0 View Edit
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143 渡邊浦人 わたなべ うらと Watanabe Urato 1,909 0 0 1,994 0 0 青森県生まれ。両親はクリスチャンで賛美歌などを聴いて育った。東京府立豊島師範学校を経て、東京音楽学校選科で大塚淳よりヴァイオリンを学ぶ。教職に就き、師範学校教員オーケストラ(後に東京教育交響楽団と改称)でヴァイオリンを弾き、同楽団指揮者を務めた山本直忠(山本直純の父)に作曲・指揮法を師事。後に同楽団指揮者に山本の後任として就き、18年間務めた。1939年より本格的創作活動に入り、翌年山本直忠、兄内庄一郎、東章夫、後藤治子、富樫康らとともに、作曲・演奏・鑑賞の三部門を主眼とする楽団「3協」を組織。音楽の普及発展につとめ、数回にわたる発表会をもった。この頃早坂文雄と交友を深め強い影響を受ける。1941年に作曲した交響組曲「野人」で第10回毎日音楽コンクール1位、文部大臣賞を受賞した。「野人」は戦中から戦後にかけて数多く演奏され、国内では新交響楽団、東宝交響楽団、国外では新京交響楽団、オスロ交響楽団などに取り上げられ、おそらくこの時期最も頻繁に演奏された邦人作品である。終戦後は1946年新作曲派協会に入会、1952年には教職を辞し、もっぱら創作活動を続けることにした。1955 年6月国際民族音楽評議会の招きにより「第3回国際民族音楽祭」に日本代表として出席、ノルウェーのオスロをはじめ、ヨーロッパ各国を遊学、各国の著名な音楽家と親交を深めた。文部省音楽教科検定委員、器楽教科書編纂委員、日本民族音楽協会理事、学校音楽コンクール審査員、東映動画部音楽顧問などを歴任。「芸術は民族の原始性から出発することによって世界化する(「野人」のプログラムノートより)」、「我々の血の中に流れている民族的な思想感情を芸術に仕上げることが私の作曲上の理念である。それは外国人の有しないものであり、日本国内では勿論、作品が世界的にもなる根源的なものである。(1952年談)」という態度を貫き、「野人」に代表されるような骨太い民族的響きを基調とした強靭で素朴な作品を多く残した。それらの作品は、戦時下の国民的感動を率直に表したものであっても、いわゆる際物に堕さず、ある水準を凌駕している。代表作に歌劇「大伴家持」、「ギターと管弦楽による三つの詩」、「グレゴリア聖歌による管弦楽曲」、「八重奏曲」など。また「母千鳥」、「赤胴鈴之助」、「人間の骨」など88本に及ぶ映画音楽も作曲した。(参考文献:「日本の作曲20世紀 Ontomo mook」(音楽之友社)他) View Edit
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144 渡部哲哉 わたなべ てつや Watanabe Tetsuya 0 0 0 0 0 0 View Edit
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145 湯浅譲二 ゆあさ じょうじ Yuasa Joji 1,929 0 0 0 0 0 View Edit
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146 瀬戸口藤吉 せとぐち とうきち Setoguchi Tokichi 1,868 0 0 1,941 0 0 View Edit
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147 片山正見 かたやま まさみ Katayama Masami 1,914 0 0 2,009 0 0 View Edit
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148 瑞木薫 みずき かおる Mizuki Kaoru 1,956 0 0 0 0 0 View Edit
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149 田中吉史 たなか よしふみ Tanaka Yoshifumi 1,968 0 0 0 0 0 View Edit
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150 田中賢 たなか まさる Tanaka Masaru 0 0 0 0 0 0 View Edit
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151 田嶋勉 たじま つとむ Tajima Tsutomu 0 0 0 0 0 0 View Edit
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152 田村文生 たむら ふみお Tamura Fumio 1,968 0 0 0 0 0 View Edit
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153 田沢茂 たざわ しげる Tazawa Shigeru 0 0 0 0 0 0 View Edit
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154 町田育弥 まちだ いくや Machida Ikuya 0 0 0 0 0 0 View Edit
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155 眞鍋理一郎 まなべ りいちろう Manabe Riichiro 0 0 0 0 0 0 View Edit
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156 真島俊夫 ましま としお Mashima Toshio 1,949 0 0 0 0 0 View Edit
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157 矢代秋雄 やしろ あきお Yashiro Akio 1,929 0 0 1,976 0 0 1929年9月10日東京生まれ。父親は、日本を代表する西洋美術史家で、ボッティチェリの研究で有名な矢代幸雄。秋雄は恵まれた文化的環境のもと、10歳から諸井三郎に師事し、1943年からは橋本國彦に学ぶ。橋本からは、ドビュッシー、ラヴェルやストラヴィンスキーを教わった。諸井、橋本は共にフランクの循環形式に大なる興味を抱いており、矢代にもかなりの影響を及ぼしたとされる。その後、池内友次郎と伊福部昭にも同窓の黛敏郎と共に師事する一方、クロイツァーについてピアノの研鑽も積んだ。1951年、東京音楽学校(現東京芸大)を卒業し、パリ音楽院に留学。ここで「いつも統一のとれた完璧のスタイルと、きめの細かい仕上げをするという習慣」を学んだ。1956年に帰国し、記録映画や演劇の(特に演劇における三島由紀夫とのコラボレーションは重要)ための作曲で有名になる。また母校の東京藝術大学で教え、野田暉行、池辺晋一郎?、北爪道夫など多くの弟子を育てた。しかし、完璧主義、寡作主義のために、帰国してから遺した演奏会用作品はチェロ協奏曲、2本のフルートとピアノのためのソナタ、ピアノ・ソナタ、それから交響曲、ピアノ協奏曲の、合わせて5つの絶対音楽だけに過ぎない。これらの粒選りの名作は、留学期の弦楽四重奏曲や留学前の幾つかの作品(ヴァイオリン・ソナタ、ピアノ・トリオなど)と共に今日まで演奏を重ねられている。矢代秋雄は、まさにこれからというとき、1976年4月9日、心臓発作で急逝した。 矢代秋雄の遺品は日本近代音楽館に収められている。 View Edit
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158 矢内和三 やない かずみ Yanai Kazumi 1,947 0 0 0 0 0 View Edit
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159 矢部政男 やべ まさお Yabe Masao 0 0 0 0 0 0 View Edit
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160 石井歓 いしい かん Ishii Kan 1,921 0 0 0 0 0 東京にてモダンバレエダンサー石井漠の長男として生まれた。武蔵野音楽大学本科ピアノ科を卒業後、池内友次郎に師事。終戦後、舞踏の作曲やピアノ伴奏を行う。1947年より尾高尚忠に指揮法を師事。1952年西ドイツに留学し、ミュンヘン国立音楽大学作曲科・指揮科修了。その間、カール・オルフに師事。帰国後、楽壇の各方面で活躍、また、創設期の桐朋学園大学で、作曲科主任教授他を務め、その後、愛知県県立芸術大学音楽学部教授・学部長として建設時より教育並びに大学運営に当たる。1955年頃より約45年間に亘り、全日本合唱連盟理事長として合唱資料センターの開設、ママさんコーラスの向上、合唱運動の向上などを行う。現在愛知県立芸術大学名誉教授、玉川学園学術教育研究所・客員教授、他理事職多数。1949年第18回音楽コンクールに管弦楽のための「前奏曲」が第一位入賞。1984年紫綬褒章受賞。1993年ポーランド共和国・1級勲章「国家功労・黄金十字章」受賞。同年東海テレビ文化賞受賞。 1994年勲三等瑞宝章を受ける。「民族の特殊感情を尊重して創るべき」という考えのもとで作曲活動を展開している。代表作に、「シンフォニア・アイヌ」、オペラ「袈裟と盛遠」、バレエ音楽「まりも」、合唱曲「枯れ木と太陽の歌」「風紋」、ヴィオラ・ソナタ、映画音楽「妖星ゴラス」「どぶろくの辰」など。なお弟は作曲家・石井眞木である。(参考文献:「日本の作曲20世紀 Ontomo mook」音楽之友社) View Edit
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