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Id Name Family Name J First Name J Family Name E First Name E Birth Year Birth Month Bitrh Day Death Year Death Month Death Day Url Description Created At Updated At Actions
161 石井眞木 いしい まき Ishii Maki 0 0 0 0 0 0 View Edit
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162 石原忠興 いしはら ただおき Ishihara Tadaoki 0 0 0 0 0 0 View Edit
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163 石川喬雄 いしかわ たかお Ishikawa Takao 0 0 0 0 0 0 View Edit
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164 石桁眞禮生 いしけた まれお Ishiketa Mareo 1,916 0 0 1,996 0 0 和歌山師範学校を卒業後、東京音楽学校(現・東京芸大)甲種師範科に入学し作曲を下総皖一に師事した。卒業後は福井師範学校で音楽を教えながら作曲に励み、1943年に「小交響曲」で第12回日本音楽コンクール入選。戦後は母校の教壇に立ちつつ、作曲グループ「新声会」に團伊玖磨、柴田南雄、入野義朗、戸田邦雄、中田喜直、別宮貞雄らと共に属し、活発な作曲活動を行う。また50年代初めには鈴木嘉代子一門の委嘱で「箏のための協奏三章」を作曲するなど邦楽器作品に関して先駆的な作曲を行った。そして二期会からの委嘱を受けてオペレッタ「河童譚」(1954)などの劇音楽作品を書いて以降、石桁の作品は劇的性格を次第に強めてゆき、三島由紀夫の近代能楽集によるオペラ「卒塔婆小町」(12音技法を用いた日本発のオペラ)等の歌劇や、三好達治の散文詩による歌曲「鴉」などの劇的声楽曲という新しい表現形態を開拓していった。1968〜83年に東京藝術大学作曲科教授を、74〜78年には同大学音楽学部長を務め、音楽教育界に指導的な役割を果たした。代表作に上記の作品の他、12音技法による「嬰ヘとハを基音とする交響曲」、太宰治作品に基づくオペラ「魚服記」、ヴァイオリンとオーケストラのための「協奏的黙示」など。主著に「楽式論」など。(参考文献:「日本の作曲20世紀 Ontomo mook」音楽之友社) View Edit
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165 石田一郎 いしだ いちろう Ishida Ichiro 0 0 0 0 0 0 View Edit
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166 神明 じん あきら Jin Akira 0 0 0 0 0 0 View Edit
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167 福島弘和 ふくしま ひろかず Fukushima Hirokazu 0 0 0 0 0 0 View Edit
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168 福田洋介 ふくだ ようすけ Fukuda Yosuke 1,975 0 0 0 0 0 View Edit
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169 秋透 あき とおる Aki Toru 1,956 0 0 0 0 0 View Edit
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170 稲垣卓三 いながく たくぞう Inagaki Takuzo 0 0 0 0 0 0 View Edit
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171 箕作秋吉 みつくり しゅうきち Mitsukuri Shukichi 0 0 0 0 0 0 View Edit
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172 篠原眞 しのはら まこと Shinohara Makoto 1,931 0 0 0 0 0 View Edit
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173 糸谷良 いとたに りょう Itotani Ryo 0 0 0 0 0 0 View Edit
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174 船本孝宏 ふなもと たかひろ Funamoto Takahiro 0 0 0 0 0 0 View Edit
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175 芥川也寸志 あくたがわ やすし Akutagawa Yasushi 0 0 0 0 0 0 View Edit
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176 草野次郎 くさの じろう Kusano Jiro 1,955 0 0 0 0 0 View Edit
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177 菅原明朗 すがはら めいろう Sugahara Meiro 1,897 0 0 1,988 0 0 兵庫県明石市出身。京都二中時代からホルン、ソルフェージュを習い、上京して川端画学校で藤島武二に洋画を師事。一方、瀬戸口藤吉に作曲を師事。管弦楽曲の分野においては、日本で最初の管弦楽作曲家山田耕筰らに次ぐ第二世代というべき作曲家だった。菅原は、ドイツ・ロマン派の影響を受けた山田に対して、フランス近代音楽を多く指揮、紹介しながら作曲活動を続け、一方で深井史郎、古関裕而、小倉朗、須賀田礒太郎、伊藤昇、服部正等多くの作曲家を教える。菅原も当初はフランスのドビュッシーやラヴェル、6人組らの音楽に日本の伝統的音階との近似点を見出し、そのような作風をとっていた(「白鳳之歌」「笛吹き女」等に顕著)が、元々古代貴族の子孫らしく雅なところがあった菅原は、その技巧的で感覚的な面に我慢ならなくなり、戦前のうちからグレゴリア聖歌のような高貴で典雅な作風に傾斜していった。また自身熱心なカトリック信者であった。深井史郎によれば、歌曲の分野を中心としていた日本の作曲は、菅原明朗によって「もう一歩前進して器楽曲、オーケストラ曲の分野がきり拓かれた」という。1988年4月2日午後7時(92歳)カンタータ「ヨハネの黙示録」作曲中に帰天する。菅原の音楽との出会いは吹奏楽であり、その吹奏楽の為に10数曲も作品を残している。本人の人柄そのままの、やわらかく上品な響きを持つ菅原の作品はもっと演奏されていい。代表作に「交響楽ホ調」、「アコーディオンのための協奏交響楽」、ピアノ曲「白鳳之歌」、オペラ「葛飾情話」(永井荷風台本)、「日本の殉教者のためのレクィエム」(法王ヨハネ・パウロ2世に献呈)など。(参考文献:CD「菅原明朗とその周辺」(Alquimista Records)ライナーノート) <p> 菅原明朗の一部の作品に関しては国立(くにたち)音楽大学図書館にスコアが保管されている。また遺族が、その他の直筆楽譜などの資料を、菅原の生まれ故郷である明石市へ寄贈をすると申し出ており、同市は常設展示を含め前向きに検討中とのこと。(「神戸新聞」2005/04/16) View Edit
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178 菅野由弘 かんの よしひろ Kanno Yoshihiro 0 0 0 0 0 0 View Edit
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179 菅野茂 かんの しげる Kanno Shigeru 0 0 0 0 0 0 View Edit
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180 菊池幸夫 きくち ゆきお Kikuchi Yukio 1,964 0 0 0 0 0 1993年《ピアノと管弦楽のための「曜変」》で第3回芥川作曲賞受賞。 View Edit
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