New Person People
Id |
Name |
Family Name J |
First Name J |
Family Name E |
First Name E |
Birth Year |
Birth Month |
Bitrh Day |
Death Year |
Death Month |
Death Day |
Url |
Description |
Created At |
Updated At |
Actions |
121 |
松村禎三 |
まつむら |
ていぞう |
Matsumura |
Teizo |
1,929 |
0 |
0 |
2,007 |
0 |
0 |
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122 |
松浦伸吾 |
まつうら |
しんご |
Matsuura |
Shingo |
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0 |
0 |
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123 |
林光 |
はやし |
ひかる |
Hayashi |
Hikaru |
1,931 |
10 |
22 |
2,012 |
1 |
5 |
http://homepage2.nifty.com/hayashi_hikaru/index.htm |
東京生まれ。尾高尚忠、池内友次郎に師事。10代前半から従姉・林りり子のためのフルート曲を、10代後半で劇団俳優座公演のための音楽をすでに作曲していて、机上の営みとなりがちな出発点から“現場”と関わりつつ作曲を出来たこと、そして劇音楽は林光にとってその後も一貫した重要なジャンルになったことを考えると、これらはきわめて大きな意味をもったであろう。東京藝術大学に入学するも、作品の学外発表に対する大学側の態度や、既成の作曲家の道に疑問を抱いて2年で退学。間宮芳生、外山雄三らと「音楽のあらゆる分野に亘って、日本の国民音楽の発展に役立つ仕事をしていきたい」と表明し「山羊の会」を結成。社会と広く関わりながら音楽活動を展開していく道を選んだ。一方自身の音楽語法を磨きつづけ、多様な書法上の試みを意識的に重ねたり、旋法的な書法、特に沖縄音階を用いたり、アイヌの音組織を活用したものなどがみられる。また、ブレヒトソングから子どもの歌まで、様々な機会(特に劇中の個性的な歌)に作られた、数百曲におよぶ<ソング>のコレクションは、日本語による新しい民衆歌への注目すべき提案である。さらに1975年以降、オペラシアター“こんにゃく座”の芸術監督として「白墨の輪」「セロ弾きのゴーシュ」「十二夜」など多数のオペラの企画・製作・上演を統括している。代表作に交響曲ト調(芸術祭賞)、WINDS、交響曲第三番「八月の正午に太陽は・・・」、合唱曲「原爆小景」、佐藤信のテキストによる連作歌曲「赤電車」など。(参考文献:「日本の作曲20世紀 Ontomo mook」音楽之友社 ) |
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124 |
柳田孝義 |
やなぎだ |
たかよし |
Yanagida |
Takayoshi |
1,948 |
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0 |
0 |
0 |
0 |
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125 |
柴田南雄 |
しばた |
みなお |
Shibata |
Minao |
1,916 |
0 |
0 |
1,996 |
0 |
0 |
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126 |
桑原洋明 |
くわはら |
ひろあき |
Kuwahara |
Hiroaki |
1,941 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
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127 |
森田一浩 |
もりた |
かずひろ |
Morita |
Kazuhiro |
1,952 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
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128 |
樽屋雅徳 |
たるや |
まさのり |
Taruya |
Masanori |
1,978 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
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129 |
橋本國彦 |
はしもと |
くにひこ |
Hashimoto |
Qunihico |
1,904 |
9 |
14 |
1,949 |
9 |
6 |
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130 |
櫛田胅之扶 |
くしだ |
てつのすけ |
Kushida |
Tetsunosuke |
1,935 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
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2020/05/13 15:50 |
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131 |
武満徹 |
たけみつ |
とおる |
Takemitsu |
Toru |
1,930 |
0 |
0 |
1,996 |
0 |
0 |
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東京生まれ。経済的に貧しかったものの、米占領軍のキャンプでアルバイトし、ジャズなどに親しみながら音楽の独習を始め、清瀬保二に作曲を師事。新作曲派協会の同人を経て、1951年グループ「実験工房」結成に参加。また早坂文雄の世話にもなり、早坂を師と仰いだ。1950年のデビュー作「二つのレント」(ピアノ)が著名な音楽評論家山根銀二により「音楽以前である」との酷評を得、また1957年の「弦楽のためのレクイエム」も初演された当初楽壇からは全く評価されなかったが、来日したストラヴィンスキーに「この音楽はじつにきびしい」と絶賛され、またハチャトリアンが「この世の音楽ではない、まるで深海の底のような音楽」と評価したことから一躍脚光をあびる。1966年「オーケストラル・スペース」現代音楽祭を組織。73年以来「今日の音楽」音楽祭を主宰、国際的な活躍を続けた。作風としては初期には武満の敬愛したドビュッシーの影響も垣間見えるものの、日本的な「わび・さび」ともいえる、非常に制限された禁欲的なもの。後期にはそのドビュッシーから受けた影響やメシアンのうちの、官能的な音遣いを前面に出した、豊饒で曖昧な無形式な作風へと移っていった。演奏会用の作品だけでなく、映画音楽、テレビの劇判音楽、歌謡曲等にも優れた作品を多数残し、そのほとんどは「武満徹全集」(小学館)で聴くことができる。どの作品も繊細で美しく、「武満トーン」と言われた独特の響きが聞こえる。また著作にも「遠い呼び声の彼方へ」「時の園丁」など優れたものが多い。武満に厳密な意味で吹奏楽編成の作品はない。東京佼成ウィンド・オーケストラがそのような作品をお願いし、本人も書くと言っていたが、1996年2月 20日、闘病生活の末逝った。 |
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132 |
毛利蔵人 |
もうり |
くろうど |
Mori |
Krodo |
1,950 |
0 |
0 |
1,997 |
0 |
0 |
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兵庫県芦屋市生まれ。戦後生まれの彼にとっては、これより上の世代が敬愛し学ぶべき対象と考えていたヨーロッパの古典音楽は、街に溢れているロックや歌謡曲と同じような位置にあるものとして映ったという。中学校に入学したばかりの頃にラジオで放送された三善晃の「交響三章」に決定的な影響を受け、中学3年よりピアノを独習。東京都立西高校時代は弦楽合奏クラブに入部。2~3ヶ月の独習でヴィオラやチェロを弾くようになる。この頃既に作曲を志していたが、音楽大学に進もうとは全く思わなかった。音大受験の為の勉強が無意味に感じられたからだという。独学で出発した彼の唯一の師は三善晃であった。習作を見てもらったり、オーケストレーションを学んだりしたが、最も精神的な面で影響を受けた、と自身語っている。彼の音楽の特徴は、音そのものがもっている生命力―それも生理的な側面ではなくてエモーショナルな側面を重要な推進力にして展開される響きの世界、という風に表現できる。情緒的な響きをもち、かつ個としての音の重みは確固たる位置を占めているのである。また現代音楽の演奏集団「アンサンブル・ヴァン・ドリアン」に参加するなど、作曲家として積極的に行動に移すべきとの考えも示した。残念なことに、若くして病気で亡くなっている。代表作に1973年音楽コンクール3位入賞した「弦楽四重奏曲」、現代の音楽展‘78で初演された「トリモルフィスム」、言葉の持っているリアリティが興味深い展開をみせた混声合唱曲「ひとりね―閑吟集より」、オーケストラ曲「GROOM IS GLOOMY」など。ちなみに毛利蔵人は筆名であり(もうりす・くろうど)、これは彼がラヴェルと、ドビュッシーを尊敬していたためつけたもの。 |
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133 |
江文也 |
こう |
ぶんや |
Ko |
Bun-Ya |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
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134 |
池上敏 |
いけがみ |
さとし |
Ikegami |
Satoshi |
1,949 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
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新潟県生まれ。東京藝術大学音楽学部作曲科を卒業後、同大学大学院音楽研究作曲専攻を修了し、この間、池内友次郎、矢代秋雄、松村禎三、間宮芳生、永正之の諸氏に師事。京都市立芸術大学音楽学部非常勤講師などを経て、現在山口大学教育学部教授を務め、吹奏楽作品、室内楽作品を中心に多くの作品を書いている。 |
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135 |
池辺晋一郎 |
いけべ |
しんいちろう |
Ikebe |
Shin-ichiro |
1,943 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
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136 |
池野成 |
いけの |
せい |
Ikeno |
Sei |
1,931 |
0 |
0 |
2,004 |
0 |
0 |
http://www15.ocn.ne.jp/~ikenosei/ |
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137 |
河出智希 |
かわで |
ともき |
Kawade |
Tomoki |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
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138 |
浦田健次郎 |
うらた |
けんじろう |
Urata |
Kenjiro |
1,941 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
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139 |
深井史郎 |
ふかい |
しろう |
Fukai |
Shiro |
1,907 |
0 |
0 |
1,959 |
0 |
0 |
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秋田市生まれ。高校卒業後物理学専攻を志したが折しも病を得て2年間の療養生活に入り、その間に当時マンドリン・オーケストラの指揮者であった石田一郎(作曲家)父君の感化を受け音楽を志すようになる。その後東京に出て国立の東京高等音楽学院に籍を置き、菅原明朗にも師事。作曲家としての出発は非常に遅かったが1931年にはトーキー初期の映画音楽を手がけ、1933年には「5つのパロディ」を作曲している大変な才人であった。純音楽だけでなく映画音楽、バレエ音楽、ラジオなどの放送音楽も数多く手がけ、評論家としても活躍し、小説をもものしている。京都で映画音楽の作曲中に狭心症で急逝。代表作に「パロディ的な四楽章」「ジャワの唄声-交響的映像-」「架空のバレエのための三楽章」「神秘的組曲(マイクロフォンのための音楽・日本初のテープ音楽)」歌曲「蛙・祈りの歌」「日本の笛」など。論文集「恐るるものへの風刺―ある作曲家の発言」(音楽之友社)は作曲者の独特な個性、鋭い批判精神、明晰な頭脳を余すところなく伝えている。(参考文献:CD「現代日本の音楽名盤選(2)山田・尾高・平尾・深井」(ビクターエンタテインメント)ライナーノート)
深井史郎の楽譜などの資料は日本近代音楽館に所蔵。 |
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140 |
清水大輔 |
しみず |
だいすけ |
Shimizu |
Daisuke |
1,980 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
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