中橋愛生 / La Decouverte du Feu ~ユーフォニアムと吹奏楽のための


Nakahashi, Yoshio / La Decouverte du Feu


吹奏楽コンクールでの演奏記録

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作品情報

作曲者: 中橋愛生
作曲年: 2005年
演奏時間: 0分
編成:
初演: 2005年05月07日 野上博幸 指揮 ミュゼ・ダール吹奏楽団
足立区西新井文化ホール「ギャラクシティ」
ミュゼ・ダール吹奏楽団第8回定期演奏会
独奏 外囿祥一郎(ユーフォニアム)
出版社:
委嘱者: ミュゼ・ダール吹奏楽団
解説: ミュゼ・ダール吹奏楽団の委嘱により書かれたユーフォニアムと吹奏楽のための協奏的作品。

フランスの超現実主義の画家であるルネ・マグリット(1898~1967)には、ユーフォニアムを題材にした絵が幾つかある。一般的にはテューバと言われているが、様々な絵における大きさを見てみると、(シュールレアリスムでは遠近法や物体の大小が無視されることも多いとは言え)ユーフォニアムとしても差し支えないだろう。「火の発見」と訳されるこの曲のタイトルとなった絵もその一つである。本来は燃えるはずのないものが燃えている、という情景。この絵の背景にあるのは、プリミティブなものなのだろう。

独奏ユーフォニアムはバンドの火の中に存在する。火は既に存在したものなのか、それとも自身から発せられたものなのか。火は自己か、それとも他か。

曲は独奏ユーフォニアムの旋律より発生した音響(火、である)が拡大されていき、やがて独奏ユーフォニアムと対峙、あるいは同化、吸収する、というもの。優れた独奏者は、演奏を聴いているとその背景に一種の幻覚ようなものが見えることがある。どちらかと言えば小柄な外囿祥一郎氏が、ひとたび楽器を手にすれば大巨人のように見える、というのはその顕著な例だろう。ある時、とある吹奏楽伴奏の協奏曲を氏が演奏しているのを聴いたとき、そこに見えたのは、まさに炎を背にした鬼神であった。

マグリットの絵のタイトルは、「火の発見」であって「炎の発見」とは訳されない。つまり、これは「人間」(動物ではなく)の発生を後ろに背負っているとも言えよう。また、マグリットにとって火とは「死」のメタファーであったことはよく知られている。 私のこの作品では「F」か「H(またはB♭)」を中心として展開する。「F」は「fire」の象徴であり、「H(またはB♭)」は「Si」、つまり「死」の象徴である。

独奏ユーフォニアムには重音奏法やハーフヴァルブ、強制倍音など数々の特殊奏法が要求されている。中でも同じ音程(正確には微分音的に誤差がある)を出す複数の指遣いを連続させる(更に口の技術も混用する)奏法が用いられているが、この指遣いの決定には独奏者である外囿祥一郎氏の多大なるご助言を頂いた。

また、バンドのほうにも特殊奏法が比較的多く要求されているが、それらは決して難しいものではない。しかし、技巧的には難しくないものの、どこまでも重く・深刻な響きが連続するこの作品の演奏には、何よりも精神的な成熟が求められる。

この曲もやはり「作曲にあたっての新・編成組織方法の提案」に準拠した方法でパート割がなされており、「Pic(1)、Fl(3)、A- Fl(1)、Ob(1)、Bsn(1)、C-Bsn(1)、Es Cl(1)、Cl(6)、B-Cl(1)、B♭ C-bassCl(1)、S-Sax(1)、A-Sax(3)、T-Sax(1)、Bar-Sax(1)、Trp(6)、F-Hrn(4)、 Trb(6)、Euph(2)、Tuba(2)、Str-B(1)、Perc(5)、Pf(1)、Hrp(1)、独奏Euph」《()内は必要最低限人数》という大編成で書かれている。「多くのバンドが演奏できるように」と小さな編成で書く事は現代の主流だが、それでは大人数の実力バンドが演奏するための作品というのは生まれない。底辺の拡充は確かに大事だが、頂点の引き上げを目指す作曲家も一人くらいいてもいいのではないだろうか?

完成は2005年4月6日。初演は2005年5月7日に足立区西新井文化ホール「ギャラクシティ」で行われたミュゼ・ダール吹奏楽団第8回定期演奏会において、野上博幸指揮の同団による。独奏は外囿祥一郎氏。演奏時間は8分。

なお、この曲は「マグリットの三枚の絵」と題した三連作の一曲目(協奏曲の第一楽章)として構想されている。

音源の一部がこちらのサイトでダウンロードできます。

(作曲者より許可を得て転載)

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