小倉朗(Ogura, Ro)


(1916 - 1990)

福岡県北九州市生まれ。生後すぐ小倉家の養子となって東京及び鎌倉に暮らす。6歳の頃、長姉からピアノの手ほどきを受け、後に音楽好きの叔父の蓄音機で初めて洋楽に接し、大きな衝撃を受けた。病弱で周囲と馴染みにくかった彼は、成長と共に折から台頭しつつあった軍国主義に対し、こんな世の中の役立ちたくないという反骨精神から、音楽の道に進んでいった。深井史郎や池内友次郎からフランス近代音楽の作風を学んだ(ピアノ曲「ソナチネ」に結晶)が、のちにジョセフ・ローゼンシュトックにベートーヴェンの交響曲の指揮法を学ぶうちに次第にドイツ古典音楽に傾倒するとともに、ますます戦雲が濃くなる中で「日本主義」「日本的なもの」に背を向けていった。(この時期の代表作は「交響組曲イ短調」「ピアノ協奏曲」など。)あまりのドイツ古典主義ぶりに、“オグラームス”と綽名されたほどである。しかし西欧の古典一辺倒に行き詰まりを感じ、それまでのほとんどの作品を破棄、焼却。自分にとって自然な音楽の探る糸口をバルトークに見出し、日本民謡やわらべうたを題材にした作品を手掛け、新しい境地を開くことになる。そして「舞踊組曲」、「東北地方のわらべうたによる五つの無伴奏女声合唱曲」、「交響曲ト調」、「オーケストラのためのコンポジション嬰へ調」などを書いた。しかし全体的にドイツ古典から学んだ明快で論理的な展開、構造の音楽作りは生かされている。また東京で育った江戸っ子の気風、言葉遣いからか颯爽とした躍動感あふれるリズムも特徴。著書『日本の耳』は、西洋音楽と比較しつつ日本の言葉を論じており、優れた日本文化論と言える。

吹奏楽作品

作品名作曲年演奏時間出版社
オリンピック賛歌B0
ブルレスク0
銀の翼0

その他のジャンルの作品

作品名作曲年演奏時間出版社
舞踏組曲195316分音楽之友社

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