信時潔(Nobutoki, Kiyoshi)


(1887 - 1965)

大阪生まれ。少年時代から讃美歌に親しみ、東京音楽学校(現・東京芸大)に入学、本科器楽部卒業後研究家に進んでチェロと作曲をハインリヒ・ヴェルクマイスターに、指揮法その他をアウグスト・ユンケルに、対位法と和声法をルドルフ・ロイテルに学んだ。1920年チェロと作曲研究のため文部省派遣留学生としてドイツに渡り、ベルリンでゲォルク・シューマンに師事した。帰国後1923年からは母校の教壇に立ち1932年に退官するまでの9年間作曲を講じた。 1942年には日本芸術院会員に推挙されるなど、戦前は歌曲、合唱曲の主導的な作曲家であった。しかし戦後は、軍国主義に巻き込まれた戦中の責任を感じ、ほとんど作曲の筆を取らなかった。作風はドイツ古典音楽の伝統を踏まえて穏健着実、重厚堅固な構成力を持つオーソドックスかつアカデミックな手法により日本人の心情の動きを表したもの。無調的な音楽、12音技法などいわゆる現代音楽の進む道とは異なる方向を歩き、シェーンベルクやドビュッシーに対しては批判的であった。しかし一方でドイツでシェーンベルクの楽譜を多数手に入れ、彼の音楽技法を日本で初めて研究しており、その12音技法などを熟知しながら、いわゆる現代音楽には与しなかったというエピソードには、彼の音楽哲学が伺える。戦後、自らの音楽についてインタビューを受けたときも、彼は「音楽は野の花の如く、衣裳をまとわずに、自然に、素直に、偽りのないことが中心となり、しかも健康さを保たなければならない。たとえその外形がいかに単純素朴であっても、音楽に心が開いているものであれば、誰の心にもいやみなく触れることができるものである。日本の作曲家で刺戟的な和声やオーケストレーション等の外形の新しさを真似たものは、西洋作曲家のような必然性がない故に、それの上を行くことはできない。自分は外形の新しさを、それがどうしても必要とするとき以外は用いない。外形はそれがいかに古い手法であってもよいと思う。」と応えている。主要作品に戦時下における文化面での戦争協力機関であった日本文化中央連盟の委嘱で書かれた大規模なカンタータ「海道東征」、戦時下最もポピュラーな軍歌だった「海行かば」、独唱曲「沙羅」、ピアノ曲「木の葉集」、鍵盤楽器又は合唱のための「東北民謡集」など。教育者としては下総皖一、橋本國彦、細川碧、高田三郎らを育てた。(参考文献:「日本の作曲20世紀 Ontomo mook」、富樫康著「日本の作曲家」共に音楽之友社)

吹奏楽作品

作品名作曲年演奏時間出版社
海行かば19232分

アクセス数:1971