菅原明朗(Sugahara, Meiro)


(1897 - 1988)

兵庫県明石市出身。京都二中時代からホルン、ソルフェージュを習い、上京して川端画学校で藤島武二に洋画を師事。一方、瀬戸口藤吉に作曲を師事。管弦楽曲の分野においては、日本で最初の管弦楽作曲家山田耕筰らに次ぐ第二世代というべき作曲家だった。菅原は、ドイツ・ロマン派の影響を受けた山田に対して、フランス近代音楽を多く指揮、紹介しながら作曲活動を続け、一方で深井史郎、古関裕而、小倉朗、須賀田礒太郎、伊藤昇、服部正等多くの作曲家を教える。菅原も当初はフランスのドビュッシーやラヴェル、6人組らの音楽に日本の伝統的音階との近似点を見出し、そのような作風をとっていた(「白鳳之歌」「笛吹き女」等に顕著)が、元々古代貴族の子孫らしく雅なところがあった菅原は、その技巧的で感覚的な面に我慢ならなくなり、戦前のうちからグレゴリア聖歌のような高貴で典雅な作風に傾斜していった。また自身熱心なカトリック信者であった。深井史郎によれば、歌曲の分野を中心としていた日本の作曲は、菅原明朗によって「もう一歩前進して器楽曲、オーケストラ曲の分野がきり拓かれた」という。1988年4月2日午後7時(92歳)カンタータ「ヨハネの黙示録」作曲中に帰天する。菅原の音楽との出会いは吹奏楽であり、その吹奏楽の為に10数曲も作品を残している。本人の人柄そのままの、やわらかく上品な響きを持つ菅原の作品はもっと演奏されていい。代表作に「交響楽ホ調」、「アコーディオンのための協奏交響楽」、ピアノ曲「白鳳之歌」、オペラ「葛飾情話」(永井荷風台本)、「日本の殉教者のためのレクィエム」(法王ヨハネ・パウロ2世に献呈)など。(参考文献:CD「菅原明朗とその周辺」(Alquimista Records)ライナーノート)

菅原明朗の一部の作品に関しては国立(くにたち)音楽大学図書館にスコアが保管されている。また遺族が、その他の直筆楽譜などの資料を、菅原の生まれ故郷である明石市へ寄贈をすると申し出ており、同市は常設展示を含め前向きに検討中とのこと。(「神戸新聞」2005/04/16)

吹奏楽作品

作品名作曲年演奏時間出版社
シンフォニア1974
セレナータ0
バッハによる二つの実践0
二つの行進曲193410分
交響吹奏楽のための前奏曲1961
交響楽「スカルラッティ讃歌」0
六聖人より「V. ドン・ボスコ」198310分
六聖人より「VI. ジャンヌ・ダルク」198310分
吹奏楽のための交響楽「夜の水都」193330分
海の行進曲19354分
祥歌と祝典行進曲0
秋の歌0
空の行進曲19354分
行列19435分
野外のための交響楽0
隆豊賀1973

編曲作品

作曲者作品名出版社
F.ハイドン交響曲第100番《軍隊》

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